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図174 商学の道

 

する。殊更に飾る必要はないが、外観は皆んなのものと思うだけで、町は少しずつ変化する。つい掃除をしたくなる。ごみ置場をどこに置くかを考えてみたくなる。駐車場をどうするか。狭い敷地内に置けなくなってくる。共同駐車場を設置することができないだろうか。各個人を尊重しあいながら、もっと広い輪で腕を組めないだろうか。建築物の外観は皆んなのものと思うだけで、町づくりの切り口が見つけられるだろう。堀川橋から見る運河も大切である。それこそ、町全体の外観を見て歩く散策道は美しくなるにちがいない。街路は一筋だけではない。町全体に通された道がすべて大切である。その中でも一つの例として、材木町から下東児童遊園につながる街路を散策道としてみた。散策道を歩きながら野外博物館を見学する。実にすばらしいことである。

 

最後に飫肥城下町と油津は酒谷川と堀川運河で結びついている。堀川運河が開かれる江戸初期以来木材の集積港として栄えた。当然江戸初期以前から、貿易港として繁栄していた。注1城下町が富の蓄積のために港が必要であった。船舶の利用に負っていたからである。陸路は平坦でなく、特に山道は険しい。そこで海路を選ぶことになる。したがって、海から陸への道が主要街路でありながら、それ以上に海の道は重要であった。飫肥城下町は油津と2本の糸でつながっていた。一つは堀川運河であり、一つは港を利用しての富の蓄えである。それが明治。大正・昭和の時の流れで油津は独自の道をたどって現在に至っている。
飫肥城下町は、重要伝統的建造物群保存地区として修復・修景が行われ、歴史を生かした手法で町づくりが行われている。油津までその保存地区を広げることができれば、江戸期の歴史にもとづく地域的特徴が一層明確になり、数多い城下町とは異なる特性を示すことになる。これは大切なことであろう。

 

注1:細田隆介「第1章 油津の歩み 第2節 中世から現代まで」(「油津」鉱脈社 平成5年12月」

 

 

 

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